被相続人に土地や建物といった不動産や預貯金などの積極財産がなく、多額の借金(消極財産)しかない場合には、相続人は相続放棄をすることを検討することかと思います。
もっとも、相続放棄をするとしても、被相続人の葬儀を行うために、「その葬儀費用を相続財産から支出してもよいのものか」お悩みになる方も多いかと思います。
ここでは、被相続人の葬儀費用を相続財産から支出した場合に、
について解説していきます。
まず、相続は、被相続人の死亡によって開始します(民法882条)。
■ 失踪などでも死亡とされることもあります。
この「死亡」には、自然死のほか、失踪宣告により法律上死亡したものとみなされる場合も含まれます(民法30条、31条)。
そして、相続においては、被相続人の権利義務のうち一身専属性のあるもの(Ex.運転免許など)を除き、すべてが相続人に承継されます(民法896条)。
■ 「借金を引き継ぎたくない」「疎遠だったから相続したくない」
被相続人のすべての権利義務が引き継がれますので、相続財産の中に多額の借金がある場合には、相続人にとって大きな不利益となります。
また、被相続人の借金が積極財産を上回らないとしても、「生前に疎遠であった被相続人の相続はしたくない」として、相続を避ける場合もあります。
■ 3ヶ月以内であれば、相続放棄を選ぶことができる
そこで相続人には、
積極財産と消極財産のすべての承継を拒否するという、相続放棄をすること
が認められています(民法938条)。
相続放棄が認められると、その者は、
その相続に関しては、初めから相続人とならなかったもの
とみなされます(民法939条)。
この相続放棄は、原則として
自己のために相続の開始があったことを知ったときから3箇月以内
にしなければなりません(熟慮期間といいます。民法915条)。
ここで注意が必要なのは、
「3箇月以内」という熟慮期間の経過前であったとしても、
相続人の行為が
「単純承認」という行為に該当する場合には、
相続放棄ができなくなってしまいます。
単純承認とは、
そのまま相続の効果が生ずることを認めるもの
であり、
無限に被相続人の権利義務が承継されること(民法920条)
になります。
ただ通常は、
相続人が積極的に「単純承認」の意思表示がなされるわけではなく、
一定の場合に、「単純承認」がなされたものとみなされる「法定単純承認」に該当することにより、「単純承認」をしたこととなるのが多いです(民法921条)。
具体的には、次のような行為をすると、「法定単純承認」に当たり、「単純承認」がなされたものとみなされます。
【民法921条】 | |
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1号 | 相続財産の全部又は一部を処分したとき(相続財産の処分)。 |
2号 | 熟慮期間内に限定承認又は相続放棄をしなかったとき(熟慮期間の経過)。 |
3号 | 相続財産の全部若しくは一部を隠匿し、債権者を害することを知りながらこれを消費し、または悪意でこれを相続財産の目録中に記載しなかったとき(相続財産の隠匿や消費等)。 |
1号における「処分」とは、
相続財産の現状、形質を変える行為をいい、
限定承認または相続放棄前になされたものに限定されます。
では、被相続人の葬儀費用を相続財産から支出した場合には、
「相続財産の処分」であるとして、「法定単純承認」に当たり、
相続放棄をすることができなくなってしまうのでしょうか。
相続財産から葬儀費用を支出した場合に、「相続財産の処分」に該当するかについては、あまり裁判例がない問題ではあります。
そこで債権執行手続においては、債務者及びその家族の生活保障等の社会政策的配慮その他の目的から、差押えが禁止されている債権があります。
まず、民法921条1号の趣旨は、
相続人による相続財産の処分により、
「単純承認する」との黙示の意思表示の存在が推認できること
及び
第三者からみても「単純承認があった」と見るのが当然であり、
第三者の信頼を保護する点
にあります(最判昭和42年4月27日家月19巻7号56頁)。
このような趣旨からすれば、
一般の処分行為すべてが「相続財産の処分」に該当するものではない
と言えます。
「単純承認」をしたとみなされるのにふさわしい程度の処分をしている必要があります。
そのため、
相続人が自己のために
相続が開始した事実を知りながら相続財産を処分した
か、少なくとも
相続人が被相続人の死亡した事実を確実に予想しながら
あえてその処分をしたこと
が必要であるとされています(最判昭和42年4月27日民集21巻3号741頁)。
このような観点から、
被相続人の財産が残されていた場合に、
相続人がこれを葬儀費用などに充てることは、
相続人(遺族)の置かれた状況としてやむを得ない
と判断された例があります(大阪高決平成14年7月3日家月55巻1号82頁)。
この裁判では、
社会通念上許容される範囲である場合には
「相続財産の処分」には当たらない
と判断されました。
この裁判例の事案の概要は、次のとおりです。(大阪高決平成14年7月3日家月55巻1号82頁)
被相続人Aは(78歳)は、平成10年4月27日に死亡しました。
X1(妻)とX2(長男)は、Aの葬儀を営み、仏壇を購入し、墓石も建立し、それらの費用493万円のうち302万円を、Aの郵便貯金を解約して支払いました。
ところが、平成13年10月17日頃になって、信用保証協会からA宛ての通知書が送られてきて、求償債務(約5,900万円)があることを知りました。
相続人であるX1(妻)及びX2(長男)、B(次男)はそれぞれ平成13年11月17日に相続放棄の申述をしました。
しかし、家庭裁判所はBの申述は受理しましたが、X1及びX2については、相続財産をもって墓石を購入し、その代金を支払った行為が「法定単純承認」に当たるとして、申述を却下しました。
このような事案において、裁判所は次のように判断しました。
【葬儀費用】
葬儀は、人生最後の儀式として執り行われるものであり、社会的儀式として必要性が高いものである。
そして、その時期を予想することは困難であり、葬儀を執り行うためには、必ず相当額の支出を伴うものである。
これらの点からすれば、被相続人に相続財産があるときは、それをもって被相続人の葬儀費用に充当しても「社会的見地から不当なもの」とはいえない。
また、
とすれば、むしろ「非常識な結果」といわざるを得ない。
したがって、相続財産から葬儀費用を支出する行為は、法定単純承認たる「相続財産の処分」(民法921条1号)には当たらないというべきである。
【仏壇と墓石】
葬儀の後に仏壇や墓石を購入することは、葬儀費用の支出とはやや趣を異にする面がある。
しかし、一家の中心である夫ないし父親が死亡した場合に、
も我が国の通常の慣例である。
預貯金等の被相続人の財産が残された場合で、相続債務があることが分からない場合に、遺族がこれを利用することも自然な行動である。
そして、X1及びX2が購入した仏壇及び墓石は、いずれも社会的にみて不相当に高額なものとも断定できない。
X1及びX2は香典及び本件貯金からこれらの購入費用を支出した。
しかし金額が不足したため、一部は自己負担したものである。
【結論】
これらの事実に、葬儀費用に関して先に述べたところと併せて考えると、
X1及びX2が本件貯金を解約し、
その一部を仏壇及び墓石の購入費用の一部に充てた行為が、
明白に法定単純承認たる
「相続財産の処分」(民法921条1号)に当たるとは断定できない
というべきである。
このように、裁判所は、
葬儀は、被相続人の人生最後の社会的儀礼として必要性が高く、
葬儀を行わないことは現代社会において稀であること
葬儀の時期を予想することは困難である反面、
葬儀を執り行うためには必ず相当額の支出を伴うこと
被相続人に相続財産があるときには、
そこから被相続人の葬儀費用に充当しても不当なものとはいえないこと
等の理由から、相続財産からの葬儀費用の支出について、「相続財産の処分」に当たらないと判断しました。
相続財産からの葬儀費用の支出以外に、「相続財産の処分」に当たらないとされた葬儀関連費用の支出や相続財産の処分としては、次のようなものがあります。
① | 遺体や身の回り品、所持品の受領(大阪高決昭和54年3月22日家月31巻10号61頁) |
② | 被相続人の道具類の無償貸与(最判昭和41年12月22日家月19巻4号53頁) |
③ | 相続財産から葬式費用、火葬費用、治療費、仏壇・墓石の購入費用(社会的にみて不相当に高額のものでない)を支払うこと(東京控判昭和11年9月21日新聞4056号13頁) |
④ | 形見分けについては、交換価値がない物(東京高決昭和37年7月19日東高民時報13巻7号117頁)、多額遺産中の僅かな物(山口地徳山支判昭和40年5月13日家月18巻6号167頁)は「相続財産の処分」には当たらないが、一般経済価値を有する物(大判昭和3年7月3日新聞2881号6頁)、衣類すべての持ち去り(東京地判平成12年2月19日家月53巻9号45頁)は、「相続財産の処分」に当たるとされています。 |
これらを判断するにあたっては、
が判断の材料になると考えられます。
上記で見ました裁判例からすると、
「社会通念上許容される範囲の葬儀費用」を相続財産から支出することは、「相続財産の処分」には当たらない
ものと考えられます。
もっとも、どの範囲であれば一般的に許容されるのかは不明確です。
また、上記裁判例は
など、個別の事情が考慮されての判断であると思われます。
したがって、すべての場合において相続財産から葬儀費用を支出することが「相続財産の処分」に当たらないとはいえません。
リスクがあることには注意が必要です。
被相続人に多額の債務がありそうな場合には、葬儀費用等を相続財産から支出することは控えた方がよいかと思われます。
以上のように、被相続人の葬儀費用を相続財産から支出した場合でも、
「相続財産の処分」に当たらず、相続放棄が認められる可能性はあります。
もっとも、その支出は社会通念上許容される範囲に限られるため、
事案によっては「相続財産の処分」に当たり、相続放棄が認められないリスクがあることには注意が必要です。
このように、相続放棄はシンプルなように見えますが、専門家でなければ判断が難しい問題もあります。
相続放棄をする場合には、一度弁護士に相談することをお勧めいたします。