夫婦は、その資産、収入その他一切の事情を考慮して、婚姻から生ずる費用を分担します(民法760条)。これを婚姻費用といいます。
ただし、婚姻費用の分担義務があるからといって、具体的な負担額が確定しているわけではありません。
この「婚姻費用分担請求権」は抽象的なものにとどまり、分担額が夫婦の協議や調停、審判で決められてはじめて具体的な請求権となります。
別居時に婚姻費用の支払額が定められておらず、実際の支払いもされていないような場合では、義務者からの支払いがされるまでの間、権利者である夫婦のどちらか一方が婚姻費用を過大に負担することになります。
そこで、このような場合には、裁判上、過去の婚姻費用の分担を含めて請求をすることが認められています。(最決昭和40年6月30日民集19巻4号1114頁)
「過去分も含めた婚姻費用分担請求」をすることができるとすれば、婚姻費用分担請求の調停・審判の手続をしていたところ、過去の分担額が確定しない間に、夫婦の離婚が成立することが起こり得ます。
では、このような場合に、離婚後に婚姻費用を請求することはできるのでしょうか?
妻(申立人)と夫(相手方)は、平成13年6月27日に婚姻した夫婦です。
夫婦の間には長男と次男がいました。
夫婦は平成26年頃から別居状態にあり、妻が長男および次男と生活をしていました。
夫は、平成30年1月までは、妻に対して、婚姻費用として月15万円を支払っていましたが、同年2月以降は支払わなくなりました。
そこで、同年5月21日、妻は夫に対して、同年2月からの未払婚姻費用の支払いを求めて婚姻費用分担調停を申し立てました。
同年7月11日、婚姻費用分担調停は不成立となり、審判手続に移行しました(家事272条4項)。
他方、夫婦は同日に離婚調停が成立し、離婚しました。
同調停では、財産分与に関する合意はなされず、清算条項も定められませんでした。
妻は、婚姻費用として93万2488円の支払いを求めました。
本件では、婚姻費用分担審判が、調停申立時である平成30年5月21日に申し立てられたとみなされ(家事272条4項)、夫婦はその後の同年7月11日に離婚しました。
また、本件では、離婚時に財産分与に関する合意はされておらず、清算条項もなかったため、財産分与請求をすることができました。
そこで、「婚姻費用分担審判」の申立て後に離婚が成立した場合にも、この審判が維持できるか、
すなわち、
が問題となりました。
原決定(札幌高裁決定平成30年11月13日民集12頁)
家庭裁判所の審判によって具体的に「婚姻費用分担請求権」の内容及び方法等が形成されないうちに夫婦が離婚したときは、
婚姻の存続を前提とする「婚姻費用分担請求権」は消滅し、…、
原則として、過去の婚姻中に支払を受けることができなかった生活費等を婚姻費用の分担としてその内容及び方法等を形成することもできないものというべきである。
調停離婚の成立をもって妻の夫に対する「婚姻費用分担請求権」は消滅し、妻が夫に対して未払の過去の婚姻費用の分担を求める本件申立ては不適法として許されない。
妻は夫に対して、財産分与の審判において未払いの過去の婚姻費用の清算のための給付を求めることが可能である。
このように原決定では、「婚姻費用分担請求権」の内容等が具体的に形成される前に夫婦が離婚した場合には、婚姻費用分担請求は消滅するものと判断して、離婚後における妻の申立てを却下しました。
妻は最高裁判所に許可抗告をしました。
これに対して、最高裁は以下のように判断して、原決定を破棄・差戻ししました。
最高裁令和2年1月23日第一小法廷決定(民集74巻1号1頁)
民法760条に基づく「婚姻費用分担請求権」は、夫婦の協議のほか、家事事件手続法別表第2の2項所定の婚姻費用の分担に関する処分についての家庭裁判所の審判により、その具体的な分担額が形成決定されるものである(最高裁昭和37年(ク)第243号同40年6月30日大法廷決定・民集19巻4号1114頁参照)。
また、同条は、「夫婦は、その資産、収入その他一切の事情を考慮して、婚姻から生ずる費用を分担する。」と規定しており、婚姻費用の分担は、当事者が婚姻関係にあることを前提とするものであるから、婚姻費用分担審判の申立て後に離婚により婚姻関係が終了した場合には、離婚時以後の分の費用につきその分担を同条により求める余地がないことは明らかである。
しかし、上記の場合に、婚姻関係にある間に当事者が有していた離婚時までの分の婚姻費用についての実体法上の権利が当然に消滅するものと解すべき理由は何ら存在せず、家庭裁判所は、過去に遡って婚姻費用の分担額を形成決定することができるのであるから(前掲最高裁昭和40年6月30日大法廷決定参照)、夫婦の資産、収入、その他一切の事情を考慮して、離婚時までの過去の婚姻費用のみの具体的な分担額を形成決定することもできると解するのが相当である。
このことは、当事者が婚姻費用の清算のための給付を求めて財産分与の請求をすることができる場合であっても異なるものではない。
したがって、婚姻費用分担審判の申立て後に当事者が離婚したとしても、これにより「婚姻費用分担請求権」が消滅するものとはいえない。
以上のように、最高裁判所では、離婚後における「婚姻費用分担請求」を認めました。
本件のように、婚姻費用分担請求の申立ての調停ないし審判が係属中に離婚が成立した場合、その後においても婚姻費用分担請求を維持できるかについては、学説上も次のとおり多岐に分かれていました。
「婚姻費用分担に関する権利義務」と、「具体的な分担額に関する権利義務」との関係 | 「婚姻費用分担請求」の調停・審判手続中に離婚が成立した場合の取り扱い | ||
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消滅説 |
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財産分与転化説 |
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不適法説 |
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非消滅説 |
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財産分与競合説 |
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請求権存続説 |
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上記のような学説状況の中で本決定では、
① | 離婚によって、離婚時までの過去の婚姻費用についての実体法上の権利が当然には消滅しないこと |
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② | 婚姻費用の清算のための給付を含めて財産分与の請求をすることができる場合であっても、家庭裁判所は離婚時までの過去の婚姻費用のみの具体的な分担額を形成決定することができること |
を明らかにしたことから、これは非消滅説における財産分与競合説を採ったものと考えられます。
上記①について、民法760条に基づく婚姻費用分担義務自体は、夫婦が婚姻関係にある以上、当然に発生しており、具体的な分担額を形成決定する審判の時点において婚姻関係があることを求めるものではありません。
本件では当事者が離婚調停において財産分与について合意していませんでした。
原決定のように婚姻費用分担請求が不適法却下されると、改めて財産分与請求を申し立てなければなりません。
これは申立人には非常に負担となります。
差し戻しの背景にはこういった事情も考慮されているものでしょう。
夫婦における問題の一回的解決を図る観点から、婚姻費用の清算のために財産分与請求ができることを認めつつ、婚姻費用分担のみの請求も認めるという柔軟な取扱いは、当事者にとって選択肢を与えるものであり、先例的な意義があります。
本決定は、「婚姻費用分担請求」がされた後に夫婦が離婚した場合を扱った事案です。
そのため、夫婦が離婚した後に、過去の婚姻費用分担を申し立てられるかについては射程外であることには注意が必要です。
もっとも、
① | 当事者が有していた離婚時までの分の婚姻費用についての実体法上の権利が当然に消滅するものではない |
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という点を重視すれば、離婚後の申立てであっても認められることになるかと思われます。